渡邉光一先生との出会い

今から20年以上前になります
友達から映画界があるから来てみないかとのさそいがあり、行きました
そこが渡邉先生宅で二階がなく吹き抜けの大きな空間のある建物で周りの壁は虹の作家「
靉嘔」さんの大きな作品が
いくつも飾られておりました。この田舎になんとアート的空間だろうとビツクリしました。
映画というのは姫田忠義監督の作られた作品で本人もおられました
どうも越前和紙の映画の依頼で今立町に来られたようです。
興味ある映画でした。
それから私もお付き合いさせて頂くことになり、姫田監督が来られる時も行って、いろいろな話を聞きました。
人脈がすごく世界的に有名な方がこの田舎に来られるので毎回がビックリでした。
オノヨーコさん達が活動されているフルクサスというメンバーの方との交流が渡邉先生は深いので
世界的な展覧会が福井でよく開催されることとなり、NHKの全国放送も何度かありました。
当然新聞社も本社の東京から来られており、私は福井にいるけれど東京のど真ん中、いや世界の特別な地域にいる感じ
でした、それぐらいすごい夫婦でした。
奥さんは数年前になくなられましたが、夫婦ともども美術家である時は全国の美術の先生2千人を集めて、毎年、どこかの
温泉地を場所にしてセミナーを開催する中心の方で10年間、夏休みと冬休みを利用して活動されていたようです。
私は会う度に昔話を聞いたり、私の作品を見て頂き意見をお聞きしておりました。
池田満寿夫さんが学生時代は貧乏されて、福井におられた時に、デッサン画を今立の方々に販売してお金をつくってあげた
時代もあったようで、今立に住む方の家の多くに池田満寿夫さんの作品は多く存在しているようです
また靉嘔さんとの交流は深く、やはり作品展を福井で何回も開催し販売されたので福井県内のお医者さんなど公の場所には
決まって靉嘔さんがあるというぐらい福井県内には靉嘔さんの作品が沢山存在しております
永平寺に虹の布をかけた苦労話、パリのエッフェル塔に虹のかけた苦労話など沢山聞かせて頂きました。
渡邉先生夫婦が贈り物する時、きまって私の作品を贈答にお返しにと使って頂いたので、その商品を決めにご夫婦で良く来られましたし
納品もさせて頂いたので、うまいコーヒーを飲みました。
私と話しながら豆を手でひき、入れてくださるのです。
奥さんは色々薬草で酒のようなものを作っておられて、私の家内も習ったり、骨董の焼き物を頂いたりしました。
ある時、私の子供の卒業式で家内がいないとき、家庭画報の取材と重なり、私の作品に私か家内が料理を盛って写真を撮るという
企画でしたが、料理を作る時間がないので渡邉先生に相談した所、奥さんが作ってあげるよと言って下さり、助かったこともあります。
私の息子(今、29才)が3才の時に連れて行ったとき、ケーキを丁寧に食べる姿を見て、ぼくは何が好きだと先生が問うと、ブーブーが
好きと言いました、すると車かと言われ、靉嘔さんの虹の車の作品を持って来られ、これをぼくにあげるよと言ってプレゼントして下さい
ました。
何も知らない私達夫婦が額を買いに行ってその作品を見せたところ、これは高いよ、いい作品だねと言われビックリした覚えがあります。
また娘の結婚祝いにも有名作家の作品を頂きました。
先生は越前和紙の月刊誌を何十年を発刊され、福井県内には沢山の功績を残されました。
晩年には漆掻きの歴史を残したいと言われ、車で岩手県に行かれたり、私の所に聞きに来られたり、わかったことを教えて下さったりで
80歳過ぎとは思えないほどの行動力でした。
私の最近の作品である、ブルーとかグリーンの色漆の作品も見て頂きまして、いいねと言われ、ブルーの作品は研ぎだしてもっと黒が少し
見えるようにすると、もっと深みが出ていい感じになるのじゃないかな、もしかすると大ヒット作品になるかもなぁと言って下さいました。
これは半年前の話で、時々、突然私の家に来られたのですが、今年に入ってお顔を拝見しないなぁと思っていた矢先の悲しい知らせ
でした。
丁度、コホロさんで先生に見て頂いた色漆の新作発表の展示会の最終日に亡くなったとの連絡があり、次の日に先生と最後のお別れ
の対面でした。悲しいですが、これまでに沢山ご指導頂いたことを作品に生かし、今後の活動に生かすことが先生に対する恩返しと考え
頑張って行きたいと思っています
平成24年5月30日                                          山岸厚夫